『僕らが』変えてく未来 ウルトラマンメビウス第33話『青い火の女』感想
ウルトラマンメビウス第33話『青い火の女』がYouTubeで無料配信されている。
『ウルトラマンメビウス』第33話「青い火の女」ウルトラ空想科学時間04 「Stay At Home With ULTRAMAN」-ウルトラマン基金-
いわゆるステイホーム支援の取り組みとして円谷プロダクションが
『今だからこそ見たいウルトラシリーズ傑作選』を毎週配信しており、これまで
・ウルトラマンエースの「国境を越えて助け合おう」的な話
・ウルトラマンマックスの「心で繋がろう」的な話(三池崇史監督回!)
等が公開されてきた。これはその第4弾「人の命を救うこと」的な話、にあたる。
いや~~面白い。メビウス。最高。答え出してる。ッカーーーーー
とか思ってるうちに感想を書き付けたくなってしまったので、勢い、ブログ開設。
未見の方が思わず観たくなればこれ幸い、ながら、まぁそんな文章力は多分無いので壁打ち的に使っていければと。でも隙あらばアフィとか貼って儲けてえぞ。
では早速、もっともらしく章立てから。
■そもそもウルトラマンメビウスとは
■禁じ手への決意表明としての『青い火の女』
■劇場版と円環を結ぶ「不可能性」
■そもそもウルトラマンメビウスとは
本題に入る前に、『ウルトラマンメビウス』がどのような文脈を持つ作品か整理。
シリーズ40周年記念作品として2006年に放映された『メビウス』の最大の特長は『(ウルトラマンティガ(1996)にて一旦切り捨てられた)昭和ウルトラシリーズの世界観(ユニバース)へ本格回帰した作品』であること。
仮面ライダーディケイド(2009)や海賊戦隊ゴーカイジャー(2011)に先立つ『レジェンドヒーロー集合作品』として、過去エピソードの扱い方や俳優の出し方etc…最初にして異常な完成度を叩き出しているのだけど、今回はとりあえず、世界観として「40年の長きに渡り人類がウルトラマンに庇護下にあった世界」だということだけ押さえてほしい。
今回配信された第33話『青い火の女』の大まかな導入は以下の通り。
一般市民の女性が怪獣フェミゴンに憑依され、その意思と無関係に怪獣化し暴れるようにになってしまった。
防衛チームに所属する主人公たちは、都市防衛のためとはいえ果たしてその女性もろとも怪獣を倒してよいのかと葛藤する。
是非ともYouTube配信を観て頂きたいとして、ざっくり上記のような話。まぁ古今東西よくある筋立て。トロッコ問題的ビター路線に行くのか?と思うじゃん。違うんだよ~!!!!!
実はウルトラマンメビウス=ヒビノ・ミライはこの2話前にて、地球防衛チームの同僚たちに正体を知られたばかり。
「青い火の女』はこれを軸に、宇宙人と地球人、超人と凡人が手を組み、人助けをすることは何を意味するのかを掘り下げていくエピソードなのだ。
ウルトラマンメビウスは全50話構成ながら、第30話でCREW GUYSの面々がヒビノ・ミライこそ、それまで自分たちを圧倒的なパワーで救ってくれた謎の異星人・ウルトラマンメビウスであることを知る。
↑師匠・ウルトラマンタロウ登場も手伝って実質最終回みたいな大盛り上がりを見せた。
これ、ウルトラマンシリーズでは禁じ手中の禁じ手なのだ。
だって、ウルトラマン、強い。パワーバランス、めっちゃ狂う。
本来は人類が解決すべき課題(怪獣)を謎の巨大ヒーローがとりあえず光線撃って解決する、という根本的な矛盾をウルトラシリーズははらんでいる。その矛盾に対し、シリーズの草創期を支えたクリエイターたちは第1作から自覚的に「ウルトラマンの変身者は決して正体を明かさない(人類側の"装備"にはならない)」というルールや「ウルトラマンに頼りすぎず、人類は自立すべきだ」という投げ掛けを以て応じてきた。これは昭和シリーズから世界観を刷新した『ティガ』(1996)以降も通底している、ある種の縛りだ。
もし防衛チームが「うちらウルトラマン居るし」と分かっていたらどうなるか。そりゃすぐ変身してもらうでしょ。「防衛隊が頑張ったあとにウルトラマンが出てくる」という順序が崩壊するのだ。
にも関わらず。よりによって昭和ウルトラの正統続編、つまり作品世界の中でウルトラマンの価値が極大化しているはずの『メビウス』がそれをブチ壊し、突き進んでいくことを選んだ…のが第30話のこと。
そして第33話『青い火の女』はその歴史的転換への決意表明をする。
■禁じ手への決意表明としての『青い火の女』
再びあらすじ紹介に戻る。なお、今回の主な登場人物は下記3名。
・ヒビノ・ミライ隊員(CREW GUYS隊員。その正体はM78星雲からやってきたウルトラマンメビウス。)
・クゼ・テッペイ隊員(CREW GUYS隊員。医師を志している。ミライの正体を知る一人。)
・ミサ(ゲストキャラクター。人魂怪獣フェミゴンフレイムに憑依されている)
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テッペイの看護も虚しく、ゲストキャラクターの女性・ミサは怪獣に変異してしまう。
彼女を救出する方法が分からないまま、街は蹂躙され続ける。防衛チームの装備も歯が立たない。
そこでミライは「僕が行きます!」とウルトラマンに変身。やむを得ず必殺光線を撃とうとするも、偶然が重なって仕留め損ない、怪獣は逃走する。
怪獣化より前からミサに医師として接していたテッペイは戦闘終了後、ミライをこう糾弾する。
「ミライ君はあの時、光線を撃つつもりだったの?その結果によってミサさんが死ぬかもしれなかったのに?」
「謝ることなんかないよ。ミライ君は正義を守るウルトラマンだからね。(中略)でも僕は、人間として彼女を見捨てることは出来ない!」
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「防衛チームにウルトラマンが居るって分かったらもうそれ、終わりじゃん!」なんてことは無かった。むしろ「力を持つ異星人」「非力な地球人」の擦れ違いが生まれるのだ。…いやそれ普通に考えたらやるでしょ とか!言わんでね。「人類と超人の結託」を40年禁じ手にしてきたウルトラマンがこれをやったの。画期的なんだ。
尚且つ、より作品側に立った感想を言えば
ミライが本来は犠牲を決して良しとしない温厚な好青年であり、テッペイがミライを含む歴代ウルトラマンを尊敬してやまないオタク青年であり…というところを踏まえると番組屈指の悲しくも印象的な、『CREW GUYSのメンバー構成』が端的に顕れたやり取りに仕上がっているように思う。
またテッペイは恐らく全話を通じ唯一この回のみ、相手の立場を無視して感情的な発言をするが、「同僚の一人がウルトラマンの力を持つ異星人だった」と判明して日が浅いこともあり、無理なく見ることができる。やはりこのタイミングでしか出来ない作劇だ。
ここから先の具体的な結末は是非とも本編をチェックして頂きたいが、
ざっくり言えば再起したテッペイはミライにきちんと謝罪し、「地球人とウルトラマン」が協力し合うからこその解決策を考案するに至る。(解決策自体は番組のベースにあるSF設定を活用して割とあっさり発明されてしまうのだが…)重要なのは「テッペイ=地球人がウルトラマンの戦いに最後の瞬間までコミット出来た」ことだ。
圧倒的な力を持ち、信頼するに足る"正義の超人"が現れた時、無力な一人の人間にもはや役目は無いのか?
その問いに、シリーズの禁じ手を犯した状態で「そうではない」という回答を提示する力強さ。いい話だなぁ!!!!
そしてこれは第33話の着地点としてのみならず、直前に公開された『劇場版ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』のテーマを掘り下げることにも成功している。
■劇場版と円環を結ぶ「不可能性」
『青い火の女』が放送された2006年11月18日から遡ること2ヶ月。
2006年9月に公開されたのが『劇場版ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』だ。
お祭り作品たるメビウスの劇場版としてウルトラ6兄弟が当時のキャストのまま登場する本作だが、お祭り騒ぎに終わらない"芯を食った"名台詞は14年を経た今でも語り継がれている。
任務で神戸の街を訪れたミライ=メビウスは、伝説のウルトラ兄弟(諸事情あって変身能力を失っている)の面々と出会う。ウルトラマンとしての在り方を悩むミライに、初代ウルトラマン/ハヤタはこう説く。
『我々ウルトラマンは決して神ではない。どんなに頑張ろうと、救えない命もあれば、届かない想いもある。』
不可能性を自覚した上で、それでも諦めないからこそ、M78星雲人はウルトラマンと呼ばれる。『初代』が説くからこその重みと励ましがこもった名台詞だ。
このように『劇場版メビウス&ウルトラ兄弟』はミライと先輩ウルトラマンの交流に主眼を置いており、メビウスの本流である「CREW GUYSとミライの友情物語」とは少々方向性が異なる。あくまで新人ウルトラマンが先輩ウルトラマンのメンタリティを学ぶストーリーだ。
この「(ウルトラマンは)不可能性を自覚した上で諦めない」という主題を、『青い火の女』ではテッペイを通じて非力な人間の側にも下ろし、なおかつミライと改めて共有させている。
これがそのまま最終回の「人類とウルトラマンの関係」への最終回答に直結するのは言うまでもない。33話はメビウスの根底に流れるテーマと密接に結びつき、まさにメビウスの輪を織りなしているのだ(キまった)。
そして何を隠そう33話と劇場版、どっちも脚本は長谷川圭一だ。凄いぜ、長谷川圭一。
■メビウス最高
ということで、急にほとばしった感想を虚空に放る感じで終わる。
誰かの目に留まればこれ幸いです。これがワイの『虚空の呼び声』や。