ノンオプチカルお脳

特撮/映画/おもちゃに対する客観性無き壁打ち

なぜ『ウルトラマンZ』は"見やすくて、面白い"のか

はい、ウルトラマンZ第1話がウルトラ面白かったです。


『ウルトラマンZ』第1話(新)「ご唱和ください、我の名を!」-公式配信- "ULTRAMAN Z" Episode 1 -Official-

(違法ながら…)本編映像を抜粋したツイートが数万RTを叩き出すほどSNS上で耳目を集め、かつシリーズファンにも喝采をもって迎えられるなんて、ウルトラシリーズで初じゃないのか。上記YouTube配信が即日100万再生突破をするのも、もちろん新記録だ。

なーにがそんなに良かったの。それは『見やすくて、オモシロイ』ことに尽きる。『ウルトラマンZ』は、クリエイター達がいわゆるトクサツ的・ウルトラ的な常識から一旦距離を置いて"怪獣と巨人がボコスカ殴り合う世界とはどんな物か"を丁寧に組み上げ、そして溢れるウルトラマン&怪獣愛を程よく、センスよく散りばめた作品に仕上がっていたのだ。

ということで、まぁセブンガー登場が良いとかミリタリー描写が良いとかも色々あるんすけども、今回は『Zは何故こうも見やすさと面白さを両立することが出来たのか』、その意図にフォーカスして感想を書いていければと。

 

【もくじ】

■怪獣!2020年の怪獣番組プロローグとしての最適解

■ゼロ!その肥大化した価値を秒で処理するブルトン

■ゼットその1!『ナゾの宇宙人』って、そりゃそうだよな

■ゼットその2!"いかにも"な弟子ヒーロー像からハズすボイスドラマ

 

怪獣!2020年の怪獣番組プロローグとしての最適解

はい、開始10秒で心掴まれちゃったよね。

人間にとって怪獣がいかに脅威であるか、実感&スペクタクルを以て見せつけるコトは怪獣映画の必須要素。そこで『Z』が選んだのは『街中での実景合成=避難する人の視点で、ゴメスが暴れるさまを見上げ続ける』という映像表現。これは2020年に通用するナウいビジュアルで/元祖ウルトラ怪獣に華を持たせ/何より「怪獣はデカくて怖いぞ!」とシンプルに印象づける最高の導入だ。

ミニチュア大好きな特撮ファンとして誤解を恐れずに言うが(正直今日び一般論だと思ってますが…)、結局ミニチュアはどこまで行っても虚構だ。作り物っぽい。なんか丸い。スタジオっぽい。モンハンのようなハイディテールな怪獣ゲームやハリウッド超大作怪獣映画が浸透した昨今においては、ともすれば「安っぽい」と捉えられかねない手法である。『シン・ゴジラ(2016)』もミニチュアをほとんど使用しなかったのだ。そんな2020年のウルトラマンにおいて開幕を実景合成(街ロケの映像に着ぐるみ怪獣の映像を合成する手法)で飾るのは、子供を含むすべての視聴者に『なんか映像が凄いぞ』と思わせるのに必要であり、十分な手段だろう。だって普通にすげーんだもん。そしてここで"怪獣"というもののリアリティラインを極限まで上げることは、後半のミニチュア戦闘パートの情報量の底上げにもつながる。『きっとウルトラマンとゲネガーグの足元には冒頭と同じように避難民がいて、瓦礫もたくさん落ちてきているんだろう』と、怪獣マニアでない幼児や大人でも、画面に映る情報以上の危機を想像することが出来るのだ。見やすい…。先程ミニチュア特撮を軽くdisってしまったが、ここまで戦略的に演出していくならば"まだまだ全然アリ"な手法だと、いち視聴者としては思う。

ゴメスというチョイスも絶妙だ。彼は『ウルトラマン(1966)』の前身となった『ウルトラQ(1966)』第1話に登場する大御所、まさに"元祖ウルトラ怪獣"への回帰だ。そんなゴメス、本来は身長10mという設定ながら、ここ10年ほどはウルトラマンや他怪獣の設定身長に合わせた"50m大の亜種"という設定で登場しており…オールドファン的には「ゴメスは中途半端に大きいから良いんだけどなー」と感じる向きもあった。それがどうした、『Z』のゴメスは縮んで18m!(S)表記も外れた!しかしこれは懐古マニアをくすぐる"再現のための再現"ではなく、あくまで新番組ウルトラマンZ冒頭としての最適解として成立している。カメラが最接近してもいい具合にフレームに収まる絶妙なサイズ感なのだ。怪獣近い!怪獣デカい!うるせえ!しぬ!踏まれちゃうよ!めっちゃ怖え!!という印象作りは、「小さいのが持ち味のゴメス」だからこそ成功したと言える。近年採用されていた50m設定のままだったらすぐに足元しか見えなくなり、却って恐怖感が損なわれただろう。つまり…見やすいなぁ!

【余談】このパートのロケ地は調布駅前界隈。今回メイン監督を務める田口清隆監督も長年暮らしていた街だ(今は知らない)。田口監督の存在を広く知らしめた伝説的自主怪獣映画『G(2007)』でも景気よく破壊されまくっており、その意味でも原点回帰といった感じ。中でもゴメスとセブンガーが倒れ込んで倒壊するビル「調布市文化会館たづくり」は、かつて田口監督もゲスト出演した『怪獣ラジオ(『クウガ』『響鬼』の高寺Pの番組!)』を放送する調布FMが入っていたり、今年2月にはカルト的人気を誇る自主映画『ガメラ4 真実』の上映がされたり…怪獣マニアは結構お世話になってる場所。調布駅から徒歩数分なので、『Z』聖地巡礼の際はぜひ訪れたいスポット。 

ウルトラマンZ ウルトラ怪獣シリーズ 121 セブンガー

ウルトラマンZ ウルトラ怪獣シリーズ 121 セブンガー

  • 発売日: 2020/06/20
  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

 

ゼロ!その肥大化した価値を秒で処理するアイツ

『"怪獣"という概念をいかに見やすくレクチャーするか』は基本的にクリエイターの手の内だろう。予算と技術の範囲で自由に設計を行える。しかしこれはあくまでも『ウルトラマン』。玩具を売らんかな、ファンの注目を集めんかな…と商業的にマストの要請も当然ある。『Z』における商業的要請の一つは、ウルトラマンゼットの師匠・ウルトラマンゼロ(初出は2009年)の存在だ。この10年選手を師匠に据えた状態で、いかに"見やすく"するのか。

ゼロがTVシリーズに本格的に関わるのは『ウルトラマンジード(2017)』以来となる。彼はまさに一騎当千の最強戦士で、しかもCV.宮野真守でべらべら陽気に喋るもんだから人気絶大。客演の度に現役ヒーローの存在感を喰ってしまうことで有名だ。したがって『ジード』劇中では激しい戦闘で負傷しており、本来の能力を殆ど使えないハンデを設定されていた。今回はマントも羽織って更に出世した感じだ。強くて偉くて陽気な師匠って、じゃあゼットはどう立てていくの?と思えば、四次元怪獣ブルトンにかっ飛ばされて即強制退場!ゼロ大好きだけど、いやクソ笑ってしまった。

四次元怪獣ブルトン(初出は初代『ウルトラマン』)といえば、ウルトラ怪獣の意味不明不条理部門で永年1位みたいな存在。天下無敵のゼロでも不意打ちのブルトンならまぁしょうがないか…と、ファンは納得するしかないのだ。尚且つ、ゼロの「まじかよめんどくさ!」程度のリアクションのお陰で、ブルトンを知らない人でも命に関わる程の事態ではないと分かる。見やすい!こんなカジュアルに楽しく師匠不在を成立させるヒーロー物、今まであっただろうか…。(念の為補足:『ジード』は8年程続いたゼロの物語の決着という意味合いも濃いシリーズだったので、手負いというシリアスで存在感の出る設定は非常にマッチしていた。)

あくまで新規の視聴者が感情移入出来る形で主軸を構成しつつ、オールドファンもニッコリな要素をノイズにならない範囲で自然に並べる…このブルトンのくだりは、言うなればSTAR WARSスピンオフドラマの『マンダロリアン』的な見やすさセンスだ。正しすぎー。 

それにしても、宇宙凶暴鮫ゲネガーグだ。怪獣のクセにブルトンを吐き出して利用するって只者じゃない。あのゼロに追い回されても結局負けなかったのだ。それに生体ジェット推進器官とか、景気よく出るミサイルとか、なんでマガタノオロチの後にこれなの!?と言いたくなるちょっとアレなフォルムとか、歪な出来栄えが個人的には令和の大映宇宙怪獣って感じ。初見では言葉を失ったけど、よかった。ソフビ買っちゃったよね。

 

ゼットその1!『ナゾの宇宙人』って、そりゃそうだよな

等身大ヒーローは好きだがウルトラマンは全然知らないという友人からウルトラマンはそもそも何で巨大に変身するのか意味不明」と言われたことがある。そこ引っ掛かるの!?と思いつつ「そりゃ巨大エイリアンと人間のバディ物だし…」とファン的には超常識、基礎中の基礎を話すと、雷に撃たれたような顔をして納得してくれた。ウルトラマンを知らない人の認識は普通こんなものだ。

近年のウルトラマンはそれどころじゃない。なんで日本語ペラペラなの?なんで主人公は変身アイテムを即使いこなせるの?なんで先輩ウルトラマンの力、借りまくるの?そもそもなんで地球人に味方してくれるの?これら特撮マニアが常識、あるいは暗黙の了解としてきた"素朴な疑問"から『Z』は逃げず、一つひとつ丁寧に、面白く・見やすく潰していく。

地球語に不慣れだから語尾が時々ヘンで、その延長で「ご唱和ください、我の名を!」と言い出す。変身アイテムの使い方は、分からないから超グダグダ。先輩ウルトラマンの力を借りるのは、普通に弱いから!素朴な疑問に素直に答え、それがオモシロさに直結していく。それでいて最も重要な『なぜ地球人と巨大エイリアンが手を組むのか』についてだけは、ゼットとハルキの乗ったセブンガーの共闘パートというおふざけナシの揺るぎない、今までにない回答を持ってくる。緩急が巧い。見やすい…。

またよく言及されているが「50m級のヒューマノイド型エイリアン!?」というユカ隊員の台詞やカラータイマーの点滅に「お前も(時間切れ)!?」と反応するハルキ隊員などの細かなディテールや、ゼットの絶妙に不気味で街に響き渡る感のある鳴き声も実に「ナゾの巨人」らしさを引き立てている。ストイック、なのに面白い。

 

■ゼットその2!"いかにも"な弟子ヒーロー像からハズすボイスドラマ

『Z』の見やすさの妙はゼロとゼットの師弟関係そのものにも現れている。第1話以前の二人を描いたボイスドラマを聴くと、やはり制作陣が意図して"ゼロを神格化しすぎない"ことを目指していることが見て取れるだろう。


【ウルトラマンZ】『ウルトラマンゼット&ゼロ ボイスドラマ』第1回(新)「ゼットとゼロの出会いの話」-公式配信- "Ultraman Z & Zero Voice Drama" episode 01

元来ウルトラマン同士の関係性とは縦の構造が絶対視されており、とにかく歳下のウルトラマンは歳上のウルトラマンをリスペクトしまくってきた。昭和シリーズの「ウルトラ兄弟」や「ウルトラの父」といった構図は象徴的だ。平成に入ってからも先輩には「兄さん」呼びで敬語徹底のメビウス、律儀に「お借りします!」と叫んで先輩ウルトラマンの力を宿したアイテムを使うオーブ…などなど基本的に一貫している(そこが見てて気持ち良いトコなんですけどね)。『Z』第一報に触れたファンの多くは、ゼットは典型的な体育会系ゼロ信者の舎弟キャラだろうと思ったはずだ。

ところがどっこい、そんな予想は本編と、そしてボイスドラマが覆し、オリジナリティある関係性を築いている。ゼットくん、『実績は十分あるけどそんなに偉くなくて丁度いい』という超ナメくさった理由でゼロに弟子入り志願しやがったのだ!いや、良い。良い。あのゼロを評して『丁度よさそう』て。かつて命を救われたとか、才能を見込まれた、みたいな熱い師弟関係ではないのだ。ならばゼロのこれまでを知らない人も気にならない。あくまでヤンチャなゼロが好きなファンも受け入れやすい。それでいて、そんな絶妙な関係性に心を掴まれる。バタ臭くなりがちな所をハズしつつ、しかし不快感なくクスッと笑えるというのは従来のウルトラにあまり無かったセンスのように思う。この辺はメイン脚本・吹原幸太氏のセンスなのかな。わからんけど。

そもそも、新規視聴者=多くの幼児はゼロなんぞほぼ知らない。『ジード』だって3年前だ。もしゼットの戦う動機が「あのゼロ師匠に恥じないウルトラマンになる」とか「あのゼロ師匠が居なくても頑張る」のようなゼロありきのものに設定されていたら、まずノれないだろう。知らねーもん。その意味でも『Z』がこれまで築いたゼロのバリューに頼ろうとせず『なんかマントかぶった強そうな先輩』程度に留めて次元の彼方にポイしてしまったのは大英断といえる。ちょっと不憫だけどこれもゼロの愛嬌だろう。それにどうせあいつは超良いところで颯爽と現れゼットを助けるに決まっている。ゼロはずっと前からそういうやつなのだ。

 

ということで、『Z』第1話から個人的には

『大前提となる虚構(=怪獣、巨大異星人)の存在感は、丁寧に、面白く説明する』

『シリーズ伝統の要素(=ゼロの価値、師弟関係etc)は、カジュアルに、面白く流す』

という二段構えの作劇方針を見て取ることが出来た。これが『ウルトラマンZ』第1話の見やすさ、そして「怪獣って、いいじゃん!ゼットとハルキ、面白そうじゃん!」と思わせてくれた要因だろう。Hotto Motto きっとそうだろう。視聴後、ウルトラマンゼット最強なりきりセット即買いしたし。

 

この構造はもちろんガレキ撤去作業をする防衛隊だったり、スマホから怪獣アラートが鳴ったりといった細かいディテールの楽しさ、構成の妙にも繋がっている。とにかく満足度が高すぎる第1話だった。今後もこの雰囲気で突っ走ってくれることを願ってやまない。

 

今回はあまり掘り下げなかったが特撮パートも新しい手触りだった。特にエッジライトを白飛びする程ギャンギャンに照らして「太陽がその方向にある感じ」を強調した照明が素晴らしい。従来よりも映像にリアリティがあり、何よりアルファエッジの起伏に富んだデザインを強調しまくっていて、ゼットが超カッコよく映える!スタッフクレジットを見ると、照明技師がウルトラシリーズ初登板?の方に変わっているらしい。近年では『シン・ゴジラ』『進撃の巨人』など東宝仕切りの大作特撮映画に携わった方のようだ。『シン・ウルトラマン』もやってるのかな…。メイン脚本・吹原幸太氏がシナリオに新しい風を吹き込む一方で特撮パートでも攻めた表現を模索し、さらには日本特撮界の大黒柱・尾上克郎監督までも登板…まさに総力戦のような様相を呈していくのかもしれない。

 

今年は残念ながらウルトラマンフェスティバルも中止となってしまったが、生『ご唱和』を出来る日が来ることを既に願ってやまない。みんなもそうでしょ。それまではとりあえず、毎週土曜はテレビの前にて彼の名を。

あー面白かったな。もっかい見よ。ガンマフューチャー早く出てこないかな。